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うさかめ英国至宝部

俳優ベネディクト・カンバーバッチさんに関するあんなことやこんなことを綴るブログです

ゴッホ~真実の手紙 ②

―『ゴッホ~真実の手紙』

BBCが2010年に製作した『ゴッホ~真実の手紙』。

その日本語バージョンについて書いております。

 

①は、こちらです。

usakame221b.hatenablog.com

  

 

**************************************************************

 

 

ゴッホは都会(ハーグ)を離れ、オランダの農村地帯に移り住む。

「ここは最高の場所だ。幸せな人生とは自然と触れ合いながら暮らすこと。

 私は今、夕暮れの光の中で草を焼く人を描いている。

 この間は小さな小屋を見つけた。自然に囲まれた美しい小屋だ」

 

 

しかしゴッホは次第に孤独を感じるようになり

「人は一人では生きられない。孤独には耐えられない。

 人間にとって最も必要なのは、やはり家族なんだ」

 

孤独に耐えきれなくなったゴッホは、仲たがいしていた両親の元へ

帰ることを決心する。

 

「息子を家においてやり、絵を描かせることにした。

息子は自分が住む部屋を改装して欲しいと言っている。

寒さをしのげれば十分に住めるはずだ」と父親

 

「家族は渋々私を家に入れた。まるで野良犬を仕方なく家に入れるかのように。

 家に入れてはやるが、家族の邪魔をしたり、うるさく吠えたりするな、とでも

 言いたげだ。動物と同じ扱いだ」

 

家族との関係はうまくいってなかったが、ゴッホはこの頃から素晴らしい作品を

残すようになる。

 

この時期、ゴッホは自分の作品に徐々に色彩を取り入れ始める。

それは、風景画だけでなく人物画にも。

「今は人の顔を描いている。まだほんの練習の段階だが少なくとも30枚は描いた」

 

「これは農家の人々の絵」

『ジャガイモを食べる人々(1885年)』

 

「彼らは小さな明かりの下でジャガイモを食べている。

 テーブルの上の皿に手を伸ばしてね。その手は大地を耕した手だ。

 自らの手で育てた作物を食べる。彼らは自分たちの力で食べ物を手にしたんだ」

 

テオやゴッホの友人で画家仲間のラッパルトは、この絵を評価しなかった。

 

「友よ、君ならもっと上手く描けるはずだ。

 まず、後ろの女性の手が不自然だ。

 それにコーヒーポットを持つ この人物は取っ手をきちんと握っていないぞ。

 とすると、このポットはどうなっているんだ?宙に浮いているのか?」

 

「それから、この男性には膝がないし腕も短すぎる。おまけに鼻も変だ」

 

「もっと実物に忠実に描くべきだ。そう思わないか?」

 

 

ラッパルトからの手紙には、他にもこんなことが書いてあった。

「君の父上が亡くなったと聞き、私は君からの連絡を待っていたがこなかった」

 

ゴッホは手紙の中で、父の死については殆ど触れていない。

その関係は良くなかったにもかかわらず、ゴッホ父親の死にショックを受けていた。

 

 

彼は父親の聖書を描いた。

「ページが白っぽく見える聖書の絵だ。表紙は皮で、背景は黒。

 これを一日で描きあげたんだ」

 

父を亡くしたゴッホは、故郷・オランダを離れ芸術の都・パリを目指す。

1886年2月、ゴッホはパリに移り住み、弟のテオと一緒に暮らし始める。

ゴッホはパリの持つ芸術的な雰囲気に浸りながら新しい作品を生み出そうとした。

 

1886年(33歳) パリで弟テオと同居。

ロートレックゴーギャンらと知り合う。

印象派を理解しはじめ、色彩が明るくなる。浮世絵の影響を受ける。

 

 

「久しぶりに会った兄は、依然とずいぶん性格が変わったような気がするが

 私たちは仲良く暮らしている」とテオ。

 

「今の課題は良い肖像画を描くこと」

肖像画を描くためにゴッホが注目したのは、自分と同じオランダ出身の画家

レンブラントだった。

 

レンブラントは数多くの自画像を残している。

「これがレンブラント肖像画

 彼は自分を皺だらけで歯が抜けた一人の老人として描いている。

 最初は鏡を見て、自分の顔をスケッチする。

 そして、そのあとは暫く目を閉じて自分の顔を思い浮かべる。

 今度は鏡を使わずに記憶だけを頼りに自画像を描いていく。

 なんだか悲しくなるな。私もいつかは、このような老人になる運命なのだから」

 

ゴッホは最初、暗い茶色の絵の具で自画像を描き始めた。

しかし、彼の筆づかいや色彩は次第に変化していく。

当時流行っていた色に影響を受け、より軽やかでカラフルになっていった。

 

「1人の画家でも様々なパターンの肖像画を描けるということを示したい。

 それだけでなく、これまでになかった色彩の使い手にもなりたいんだ」

 

 

「兄ゴッホの絵は、まだ一枚も売れていないが他の画家と作品を交換することは

 あるようだ。彼は有名な画家のアトリエを訪ねて色々な画家と仲良くしている

 という」

 

しかし、人付き合いの苦手なゴッホは画家仲間たちとの交流には、あまり熱心では

なかった。

 

そしてゴッホと同じように、もう一人、社交的でない画家がいた。

のちにゴッホと深い関わりを持つようになるポール・ゴーギャン

 

この頃、ゴッホゴーギャンは日本の浮世絵に興味を持っていた。

 

「日本の浮世絵はカラフルで明るくて本当に素晴らしい。

 私は数えきれないほど沢山集めてしまったよ」

 

ゴッホは最初は浮世絵のコピーをしていただけだったが、やがて少しずつ自分流に

アレンジするようになり、ついには自分の作品に取り入れるようになった。

 

例えば『タンギー爺さん』と名付けられた作品の背景にも浮世絵をイメージしたものが

描かれている。

 

 

 

精力的に作品づくりに取り組む一方で、ゴッホには悪い習慣がついてしまう。

彼は浴びるほど酒を飲み始めたのだ。

その結果、健康が損なわれただけではなく弟テオからの信頼も失ってしまった。

 

 

「まるで兄の中に2人の違った人格が存在しているかのようだ。

 1人は才能豊かで優しいが、もう1人は自分勝手で冷たい人間だ。

 これまで兄のことを親友だと思ってきた。だが今はちがう」

 

 

2人の間には口喧嘩が絶えなかった。

そんな生活に嫌気がさしたゴッホはパリを離れる決意をする。

 

1888年(35歳) 2月、「日本の光」を求めて南仏アルルに移る。

 

「私はアルルに向かう列車の中から見える、その美しい風景に息をのんだ。

 それは日本の浮世絵に負けないほど素晴らしいものだった。

 太陽はキラキラと輝き、夕日が野山をオレンジ色に染めている。

 なんて魅力的なんだろう!」

アルルに着くとゴッホは一軒家を借り、すぐに製作に取り掛かる。

 

5月、「黄色い家」を借り、画家たちとの共同生活を企てる。

 

そしてゴッホの作品の色彩は、次第に色鮮やかになっていった。

 

「私は35歳になって初めて ここアルルの地へやってきた。

 できることなら25歳の時に、この地に来たかった。

 10年前の私は、暗い色の絵ばかり描いていたから。

 もう浮世絵は必要ない。なぜなら、ここには同じぐらい美しい風景が

 広がっているから」

「今年は、この地で大いに作品づくりに励みたいと思う」

 

 

アルルに来てから前向きになっていたゴッホだが、1人きりの寂しさが

彼の精神を少しずつ蝕んでいく。

「誰とも口をきかないまま何日も過ぎていく。

 誰かと話すのはレストランで食事を頼むときぐらい。

 私は、こんな風に1人ぼっちで過ごすのがとても不安だ」

 

 

そしてゴッホは手紙を書く。

 

「我が友 ゴーギャン

 

 アルルに家を借りた。もし君が南フランスの風景を描きたいと思うなら

 そして、私と同様、作品作りに没頭したいと思うなら、ここはまさに

 うってつけの場所だ。

 もしよかったら、ここで一緒に製作に励まないか」

 

「私の弟に、毎月1枚の絵を渡す。それが家賃の代わりだ」

ゴーギャンと同居することを願って、大輪の向日葵でアトリエを飾った。

 

 

「これは私の寝室を描いたもの。最終的にはステンドグラスのような色をつけたいと

 思っている。なかなか面白い作業になりそうだ」

 

1888年10月、ゴーギャンがアルルへとやってくる。

 

数日後、同じテーマで作品を描こうと2人で古代ローマ時代の墓地に出掛けた。

ゴッホは実際の景色を見ながら描き、背景には工場も描かれている。

一方ゴーギャンは、記憶をもとに作品を描きあげていった。

 

ゴーギャンが時間をかけ念入りに完成させている間に、ゴッホはさらに2枚

別の絵を仕上げた。

 

ゴーギャンは彼自身も気づかぬうちに、やり方を少し変えるべきだと

 教えてくれた。

 そして私も今、記憶をもとに書いている。

 これまでの作品を題材にして、思い出しながらね」

 

これは、ゴッホが記憶をもとに書いた作品の1つ。

そこにはゴーギャンの影響が強く感じられる。

 

「巨大なレモンイエローの太陽。黄緑色の空とピンク色の雲。

 畑は紫色で、人物と樹は紺色だ」

 

しかし、記憶だけで描く方法はゴッホには合わなかったようで、彼はすぐに

元の描き方に戻った。

 

 

「最近2枚の絵を描いた。

 1つは赤いタイルの上に置かれた黄色い椅子。もう1つは赤と緑に染まった

 ゴーギャンの椅子。ゴーギャンの椅子には小説とロウソクが置いてあるんだ。

 なかなか面白いだろう」

 

 

ゴッホ~真実の手紙 ①

―『ゴッホ~真実の手紙』

8/30までGyaoで無料放送中の『ゴッホ~真実の手紙』。

 

BBCが2010年に製作し、カンバーバッチ氏がゴッホを演じております。

 

ゴッホについて、私は飛び飛びにしか知らなかったんだなぁ、と。

もちろん、この番組で完全に網羅している訳ではないのですが。。。

 

番組を見終ってから、東郷青児美術館のホームページを見ていたら

ゴッホの略歴が載っておりました。

これが結構面白くって。。。

面白い、というと失礼なんですが。

淡々とした文章がゆえに、なんだか面白い。

 

 

番組も興味深かったので、書き起こしてみました。

文末や、語順を少々読みやすいように変えています。

 

途中途中で、東郷青児美術館のホームページに載っている略歴も差し挟んでいこうと

思います。オレンジ色の文字部分が、その略歴です。

 

 

ちなみに、私がGyaoで見たのは日本語吹替版。

吹替え、といってもボイスオーバーなので少々、ほんの少々、たまーに

カンバーバッチ氏の声が聞こえます。

 

 

下にロシア語?字幕が入っていますが、こちらに英語バージョンが

ありました。

本編 約80分を、日本バージョンでは約45分に編集しているようです。

 

 

英語字幕入りのものもありました。ただし、6分割されている模様?

すみません、全部を見て確認していないのですが参考までにペタリ。

 

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ビンセント・バン・ゴッホ

1853年 3月30日、オランダ南部のズンデルトに、牧師の子として生まれる

 

 

大胆な色彩と独特なタッチで知られる天才画家。

 

「私の筆遣いは、まるでバイオリンを弾く弓のようなんだ」

 

ゴッホは、とても繊細な心を持った人物だった。

 

「私は精神的に追い詰められているのかもしれない。

 どうすればいいか分からない」

 

彼は生涯にわたり多くの手紙を遺しており、その殆どは弟テオに宛てたもの。

 

テオはゴッホの弟であり、親友であり、そして経済的な支援者でもあった。

1857年(4歳) 弟テオ生まれる。テオはその後画商となり、フィンセントを

生涯にわたり、

経済的かつ精神的に支える。

 

これは、ゴッホや弟テオの書いた手紙をもとに作られた真実の物語。

 

ゴッホにまつわるエピソードで最も有名なのが、自分の耳を切り落としてしまった

ことだろう。

 

1888年12月23日。

友人と口論になり頭に血が上ったゴッホは、なんと自らの左耳の一部を

カミソリで切り取った。

傷ついた彼は病院へ運ばれる。

 

 

「親愛なる我が弟テオへ

 私は鍵のかかった病室に、もう何日も閉じ込められている。

 ここは酷い場所だが、幸い耳の傷口はふさがりつつある。

 しかし困ったことに、まったく眠れないんだ。

 そのせいで、私はすっかり弱ってしまった」

 

「愛する兄さんへ

 兄さんが眠れない日々を過ごしていると知って、僕も心が痛むよ。

 どんな時でも僕は兄さんを愛している。弟のテオより」

 

 

固い絆で結ばれたゴッホとテオ。

2人のこうした手紙のやりとりは、一体いつから始まったのか?

 

子供の頃、寄宿学校で絵画の基礎を学んだゴッホは1869年16歳の時に

美術商の見習いとして働き始めた。

1869年(16歳) 美術商グーピル商会ハーグ支店の店員になり、多くの絵画に親しむ。

 

その3年後、弟のテオもゴッホと同じ仕事を選ぶ。

2人の手紙のやりとりが始まったのは、この頃のこと。

ゴッホが19歳、テオが15歳のとき。

 

「僕たち2人が同じ職業に就いているなんて嬉しいことだ

 これからも頻繁に手紙を交換しよう」

 

「実は1つ提案があるんだ。2人の間では隠し事をしないと約束してくれないか。

 お互いを信頼して、お互いの支えになろう。

 これからの人生で2人の絆がさらに深まりますように」

 

美術商の仕事を始めて4年が経った頃、ゴッホはロンドンへ転勤に。

1873年(20歳) ロンドン支店に栄転。

彼はそこで ふと目にした新聞の中に白黒の版画を見つける。

その美しさに目を奪われたゴッホは、すっかり版画の虜になってしまった。

 

「このような版画は画家たちにとって、お手本にしたくなるような存在だ。

 見ているだけでワクワクする。イギリスの画家はとても勉強熱心だと思う。

 彼らこそ画家の原点だと言えるだろう」

 

この作品は当時ゴッホが集めていた版画のコレクションの中の1つ。

貧しい労働者をテーマにした、こうした版画はゴッホの生き方に大きな影響を

与えた。

 

「この街には多くの労働者がいる。そして彼らは神を心から信じる敬虔な

 クリスチャンだ。街の教会では牧師が聖書の教えを伝え、人々は熱心に

 牧師の話を聞いている」

 

 

この版画を見てゴッホは自分の父親のことを思い出した。

彼の父は牧師だったのだ。

そしてゴッホは牧師になることを決意。

しかし聖書を学ぶことに没頭するあまり仕事がおろそかになり、職を失ってしまう。

1874年(21歳) 下宿の娘に求婚するが断られる。聖書を読むことに没頭する。

仕事を辞めたゴッホは本格的に牧師への道を目指す。

1876年(23歳) 店を解雇され、教師になるも年末には辞める。

 

 

「私は今、学校の中にいる。窓から見た光景を描いてみた」

 

ゴッホはロンドンの日曜学校で子供たちに勉強を教え始め、そして、初めて人々の前で

聖書の教えを語った。

 

 

「テオ、聞いてくれ。この前の日曜日、初めて教会で話をしたんだ。

 みんなの前に立った時、まるで暗い地下から陽のあたる場所に出てきたような

 感じがした。あれは本当に素晴らしい体験だったよ」

 

ゴッホは本格的に牧師を目指すため、1876年オランダに戻る。

しかし、たった1年で勉強につまずき牧師になることを断念。

1877年(24歳) ドルトレヒトで書店店員を経た後、牧師を志す。

残された道はキリスト教の教えを広める活動をする”伝道師”になることだけ。

伝道師の道を歩み始めたゴッホはベルギーの炭鉱に派遣される。

1878年(25歳) ブリュッセルの伝道師養成学校で実習。

ベルギーの炭坑町ボリナージュで熱心に伝道し、あい間にスケッチをする。

 

 

「ここではカゴのようなものに乗って作業する場所まで下りていく。

 ここで働く人々は、それに慣れているようだが私はカゴに乗って降りることが怖い」

 

ゴッホは炭鉱で働く人々の厳しい労働環境に心を痛め、病人や怪我人の世話を

献身的に行った。

しかし、半年たっても伝道師になることはできず彼は志半ばで諦めることになった。

1879年(26歳) 献身が常道を逸しているとして伝道師を解任される。

 

「人はよくこんなことを言う。

 あれがキッカケで人生が上手くいかなくなった、とか。

 あの時から下り坂になった、とか。まさにそんな感じだ」

 

弟のテオは手紙と共にゴッホが送ってきたスケッチを見て、兄のただならぬ才能を

直感。

そして画家になるようゴッホに勧める。

1880年(27歳) 画家になる決心をする。

 

 

「これからは生まれ変わろう。今まで私は何をやっても続かなかった。

 でもこれからは、どんなに辛くても もう逃げたりしない。

 この世に生まれ、これまで生きてこられたことに感謝し、その気持ちを絵画

 という形で残さなければ。それが私の義務であり、責任なんだ」

美術商の仕事を辞めてから4年。

様々な困難を乗り越えゴッホはついに天職を見つけた。

 

その後の手紙から、彼がどれほど作品制作に没頭していたかが分かる。

 

「デッサンは全ての基礎となるものだ。ミレーのような巨匠から人物画の

 デッサンを学ぼう。

 彼はこう言っている『美術に身も心も捧げよ』」

「ミレーの『種まく人』を私は もう5回も描いている。作品に愛を込めることが

 出来ればきっと人々に気に入ってもらえるだろう」

 

 

このように作品に愛を捧げたゴッホだったが、人生においては愛を得ることが

出来なかった。

 

あるとき、ゴッホは両親の家で1人の未亡人と出会う。

ゴッホの従姉にあたる女性で、ゴッホは彼女に恋をする。

 

「恋に落ちた瞬間から、私には分かっていた。

 すべてを投げ出し身も心も完全に捧げなければ、チャンスはないと思う」

 

 

残念ながら、この恋は片思いだった。

ゴッホは家族から彼女に会うことを禁じられるも、それでもゴッホは彼女に

手紙を送り続けた。

 

「我慢できずに彼女に会いにいったが、おじに『しつこいぞ』と怒鳴られた。

 私はランプの灯に手をかざし、この火の熱さに耐えていられる間だけでも

 いいから会わせて欲しいと頼んだ。しかし結局会うことは叶わなかった」

 

ゴッホの恋は父親の怒りをかった。

 

「父さんに、お前は一家の恥だと言われ大喧嘩になった。

 父さんに出て行けと言われ頭にきた僕は、こう言い返してやったんだ。

 『父さんの信じる宗教だって、くだらないじゃないか』

 『もう僕はキリスト教には関わらない』ってね」

 

全てを失ったゴッホは弟テオを頼った。

 

「テオ、もうお前に頼むしかない。お前の負担にならない範囲で時々金を送ってくれ。

 その代わり私は作品を送るよ。そうすれば、絵を描いて稼いだと考えることが

 出来るから」

 

弟テオの返事は

「兄さんの絵が売れるまで、出来る限りの援助はしよう。

 でも父さんに酷いことを言ったのは赦せない。頼むから父さんと仲直りしてくれ」

 

 

父親と喧嘩して家を飛び出したゴッホは、オランダ南西部の町・ハーグに小さな

アトリエを構える。

 

1881年(28歳) エッテンの家に帰る。従姉に求婚を拒まれ、ハーグへ。

ハーグは大都市で、ゴッホはここで近代的な街並みの風景画を描いた。

 

 

「そんなある日、私は妊娠中の女性と出会った。

 お腹の中にいる子の父親に捨てられた女性だ。

 冬の町を彷徨い、食べ物を手に入れようとしていた。

 私は彼女にモデルを頼み、そして一緒に暮らすことにした」

 

シーンという愛称で呼ばれる その女性はゴッホより年上で、娼婦だった。

 

「私はシーンに部屋と食べ物を与えた。そうすることで彼女とお腹の中の子を

 飢えや寒さから守っているんだ。

 彼女は痩せていて顔色も悪いが、私にとっては美しい。

 彼女をモデルにデッサンを描いた。タイトルは”悲しみ”。」

 

「私は自分の作品によって人々を感動させたいんだ。

 これは、そんな絵が描けるようになるための第一歩だと思うんだ」

 

「このデッサンは砂地に生えた木の根。風景画も人物画と同じように感情を込めて

 描きたいと私は思っている。このような木々にも表情があり、魂があるんだ」

 

 

シーンとの関係は、従姉に恋をしたとき以上に家族の怒りをかった。

今回ばかりは弟のテオも腹を立て、ゴッホへお金を送るのを止めてしまう。

その結果、ゴッホはシーンを養うことが出来なくなってしまい2人の生活は

終わりを告げる。

 

「彼女のことは忘れない」

 

ゴッホは都会を離れ、オランダの農村地帯に移り住む。

1882年(29歳) オランダ各地に移り住み、制作を続ける。

農民生活や肖像画、風景など、方向性が定まってくる。

 

 続きは、こちらです。

 

 

usakame221b.hatenablog.com

 

 

 

流行りのハンドサイン、作ってみました

-『シャーロック』

ここ数日、急に見かけるようになった”ハンドサイン”ネタ。

 

自分で簡単に作れるハンドサイン画像ジェネレーターという

サイトがありましたので、自分でも作ってみました。

 

ドラマ『シャーロック』新シリーズの日本版DVDが発売されるまで、必死に

ネタバレを避けようとしている人(っていうか、私)のハンドサイン。

 

 

明日から、NHKのBSプレミアで『シャーロック』のシリーズ1&2が

放映されるみたいですね。

 

新シリーズのホームページも作られたようですが、ネタバレがあるという噂なので

まだ見ておりませんです、はい。

 

 

以前、NHKで『テンペスト』というドラマが放映されましたが、その人物相関図に

主人公の今後が書かれていたことがあって驚いたなぁ。

そこは、ドラマの大きな山場では?!と個人的には思ったのですが。

 

あらすじなら仕方ないな、とは思うんですけどねぇ。

 

その点、Tumblrは画像がバーンと出てきて当たり前だ、という大前提が。

海外の『シャーロック』ファンの方をフォローしていると、もう衝撃なシーンとか

容赦なくでてきても、薄目を使って「見てない、見てない」と自己暗示して

乗り切るしかないですよね。

 

っていうか、見なきゃいいんですが。

 

「見たいけど、見たくない」「知りたいけど、知りたくない」

新シリーズを見るまでの、この愉しさと苦しさ(大袈裟な)。

 

これ、新シリーズ見ちゃったら喪失感大きすぎるんちゃうかな、

と密かに心配している今日この頃です。

 

 

あ!そうだ。大変、今月21日までGyaoでカンバーバッチ氏が

出演している『アメイジング・グレイス』が無料で観られるとか。

 

こちらです

 

危ない、危ない。忘れるところだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

シリーズ3が待ち遠しい!!  ドラマ『シャーロック』の話

-『シャーロック』

※ 2014年9月28日に追記 ※

 

この弱小ブログに「Hulu シャーロック シリーズ3」といったキーワードで

訪問いただくことも多少あるようなので、少々追記を。

 

ついにHuluに登場しましたね、シリーズ3!!

しかし、手放しでは喜べないという。

 

英語字幕での配信、ということのようで。

 

 

その代わり(?)私は気づいてなかったのですが、シリーズ1&2も

英語字幕で見られるようになっておりました。

 

あらやだ、わざわざUK版を購入したのに。。。ま、それはそれで。

シリーズ3の日本語字幕版も公開することを祈りつつ。。。

 

 

では、ここから先は2013年7月7日の記事となります。

 

 

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Huluという危険極まりないサービスに加入してしまったものですから

もう大変でございます。

 

 

簡単に申しますと、月額980円(※2013年7月現在)で、映画・テレビ番組が

見放題!

というサービス。

ま、見放題といっても、世の中すべての映画・テレビが見られる訳ではなく

 

昔の名画と呼ばれるものや、自分の好きな映画を検索したけれど

あんまりないなぁ、、、、(おいおい)

 

 

でも、今までご縁がなかったテレビドラマシリーズ。

この中に見たいものがありまして。

 

それは、それは、それが『シャーロック』

 

 

そう、シャーロック・ホームズの推理モノです。

 

シャーロック・ホームズと言えば、個人的にはNHKで見ていた

ジェレミー・ブレットさん主演のドラマ

 

のイメージが強いのですが。

 

 

私がHuluで見たかったのは、2010年から放映されているもので

 

コナン・ドイルの原作を大胆にアレンジした「21世紀版シャーロック・ホームズ」。

>2010年、イギリスBBCで放送され大反響を呼んだ話題作。

 

~NHKホームページより~

 

 

1シーズン3話で、現在シーズン2まで公開されています。

つまり6作品。

 

ということで見始めたらアッという間に見終わってしまうのですが。

 

 

ちょっと、、、何回も見てしまいそう。

何しろ1本90分という、見応えありな内容だし。

 

 

最初は、どんな映像が出てくるのか恐々みていたのですが

(ミステリーなので、描写が、、、すみません、ビビりなもので)

 

1回みたら心の準備はできたし、2回目以降はじっくり、ゆっくり

ホームズとワトスンの会話や、周りの小道具などを見られる。うしし

 

 

あ、そうそう。

このドラマでは「ホームズ」「ワトスン」とは呼び合わないのでした。

ワトソンという訳もあるようですが、なぜだか私はワトスン派でして。

子供のころに読んだ本の影響かなぁ??

 

話はそれますが、ジョン・H・ワトスンのHについて

という記事も面白かったです。

 

 

閑話休題

 

 

『シャーロック』の中で、2人はお互いをどう呼び合っているか?

 

 

 

「シャーロック」と「ジョン」であります。

 

 

最初、ジョンって誰だっけ??みたいな。

 

 

まだ字幕でしか見てないのですが、吹き替えも興味あるなぁ。

って、それはDVD購入になってしまうんだけど・・・

 

 

何しろ、超高速でシャーロックがセリフを喋る場面などは残念ながら

字幕では情報が足りないような。。。

 

 

 

ドラマのテンポの良さ、画面の使い方(画面の切り替えなど)が

なにしろ面白い。

 

 

何名か、ドラマの感想を書いていらっしゃる方のブログを読ませて

いただきましたが

みなさん熱い!愛するがゆえに、文章が長い!(褒め言葉です!!)

 

 

そうゆう私の文章も、長くなってきた!

まだまだ書きたいことがあるのに!!

 

ってことで、また書くかもしれません。

 

 

 

 

そうそう、シリーズ3が今年3月から収録開始されたとか。

しかも、私の誕生日からですよ!

 

ねーさん、事件ですよ!(いや、事件ではないけど)

これは、もう何か見えない縁があるに違いない!(ないと思うけど)

 

 

主人公役のベネディクト・カンバーバッチ氏は、今年8月末公開予定の

スター・トレック』にも出演とか。

 

やだ、どうしよう見に行っちゃたりして。

 

 

7月中旬には、2回目の来日とか?

 

やだー、どうしよう空港で出待ちしちゃったりして。

 

 

 

ってのは、冗談ですが。

 

 

いやー、それにしてもシャーロック面白い。

 

 

 

 

 

 

 

 

やはり、「もしも」と思ってしまった『ブーリン家の姉妹』

―『ブーリン家の姉妹』

いつか終わってしまうんじゃないか、と。

そんな心配をしているのは、私だけでしょうか。

 

 

いつか「水曜日はレディースデー」が

終わってしまうんじゃないかと。。。

 

 

 

通常の半額で映画が観られるなんて、

観客としては嬉しい限りだけれど。

 

 

だ、大丈夫なんだろうか、と。

 

ついつい映画館を心配してしまうので

ありました。

 

 

さて。

 

本日は『ブーリン家の姉妹』を観てきました。

 

 

☆☆☆ここから先は、映画の内容に触れています☆☆☆

 

 

 

 

☆☆☆これから観る方はご注意くださいませ☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

世界史で、ある程度は習ったハズなのに、最後まで

ハラハラしながら観てしまいました。

 

つまり、まったく授業内容を覚えていなかった訳でして。。。

 

 

そんな訳で、どこまでが史実で、どこが脚色なのかが

私には良く分かっていないのですが。

 

 

登場人物たちが抱いていた欲や想いを大きく越えて、

歴史が動いてしまった感じとでもいいましょうか。

 

 

必死で自分の夢(という名の欲望?)を実現しようと努力し、

耐えてきたことが。

 

まったくもって、皮肉な形で収束したかのようにも

思える内容で。。。

 

 

もしも、あの事件がなかったら。。。

 

 

もしも、あの嘘をつかなかったら。。。

 

 

もしも、、、

 

 

誰かの1つの決断が。

 

 

ひょっとしたら、回り回って何か歴史に

大きな影響を与えてしまうのかもしれない。。。

 

 

そうだとしたら。

 

明日からはお昼に何を食べるか?を

今まで以上に必死に考えなくては!?

 

 

 

今月1日の映画デーに、『ブーリン家の姉妹』で

妹役を演じたスカーレット・ヨハンソン主演の

『私がクマにキレた理由(わけ)』を観たばかり。

 

 

なんだか、スカーレットに縁のある今年の

秋でございます。。。